充電中フリーアナウンサー「石岡和博」のページ

このページでは、最近僕らのバンドに加わった石岡さんの書くメッセージを掲載して行こうと思います。
仕事中に脳卒中で倒れた売れっ子アナウンサーの復帰への頑張りを是非読んで下さい。
石岡さんへのお便りなど、寄せていただけると嬉しいのですが…。

石岡さんのパーカッションが光ります。

その@

みなさん、こんにちは。石岡和博と申します。

つい最近メンバーに加わりました。あ、まだ見習いかな。ま、とにかく一緒に練習など始めました。

僕が、吉田さんたちの仲間に加わったのには、わけがあります。

僕は、フリーのアナウンサーです。ここ十数年、東京でアナウンサーとして頑張ってきました。
しかし。僕は、今年2002年4月4日の未明、突然、脳卒中で倒れました。
NHKでナレーションの仕事を終えた2時間後でした。脳卒中、といっても正確には「脳
出血」、それも脳の中心部にある「脳幹」の近く、「橋(きょう)」の部分での出血
です。何も前兆らしいものは、ありませんでした。すぐ救急車で広尾の日赤病院に運
ばれ、意識のない状態が2週間ぐらい続きました。おもな仕事先であるNHKのみんなが
見舞いに来てくれましたが、あの頃は、みんなが来てくれたことも、よくわかってい
ませんでした。あとでわかったのですが、倒れた時、日赤病院の先生は、実家(浜松
です)から駆けつけた母に、こう言ったそうです。

「息子さんは最悪の場合、植物人間になるかもしれません」

結局、9本あったレギュラーは、もちろん0本になり、4ヶ月に渡る入院生活を強いら
れました。そして、3つの病院を転々としたのでした。その後、8月1日に退院し、今
は浜松の実家で療養中です。...体はというと、日赤病院の先生が言ったような植物
人間は避けることができたものの、右手、右足、そして命と同じくらいたいせつな言
語に、マヒというか後遺症が出てしまいました。やっかいなのは、落ち込んだ「心」
です。退院して1ヶ月はとくにひどものでした。一時は毎日それこそ「死にたい」っ
て思いました。「フリーアナウンサーへの復帰は、不可能に近い」、そんな声がたく
さん聞こえて来たからです。

神様をうらみもしました。「どうして僕がこんな試練を受けるの」って。何にも悪い
ことはしてない、盗みもしてない、もちろん人を殺してもいない。ちょっとは嘘つき
だったかもしれないけど、他の人と同じ程度じゃないか。その僕がどうしてって。な
んで隣の人じゃなくて、僕がって。やりきれない気持ちでした。手足が回復すればす
るほど、気持ちは、逆にどんどん落ち込んでいきました。手足が回復していったとは
いえ、この病気は、内臓のマヒもひきおこします。一番それを体感したのは、トイレ
でした。おなかに力もうまく入らず、胃腸も健康状態とはくらべものにならないほど
衰えてしまいました。とにかくうまくトイレができない。毎日こんな思いをして生き
てゆくのか。何というか、もう、自暴自棄になっていきました。

2002年9月7日。そんな僕に光が見えました。といっても急激に体がよくなったわけで
はありません。もちろん、言葉も。歩けばころぶし、しゃべればつっかえる。でも、
気持ちが前向きになれたのです。あるディレクターの電話での一言がきっかけでした。

「石岡さんの復帰を信じています」

それからです。吉田さんのHPに出会ったのは。ほんとはバンドの裏方でも何でもよかっ
たんです。倒れる前にはそれなりに弾けてたギターも、ベースも、作曲の時に弾いて
たキーボードも、右手が使えない故に、もう弾けません。倒れる前にはしっかり音程
もとれて、CMソングまで歌っていた僕が、もう腹式呼吸もうまくできないし、音程も
うまくとれない。タンバリンさえ右手ではたたけない。だから裏方でよかったんです。
障害者になった今だからこそ、裏方でもいいから、バンドに参加したかったのです。

そしたら吉田さんから意外なメールが来ました。

「是非ボーカルとパーカッションでバンドに参加してください。とにかくたのしんで
やりましょう」

僕は思いました。これも僕の人生だと。何かの運命だと。あれこれ考えずに吉田さん
についていこうと。

いま僕は「とにかくリハビリをやろう。なんとしても復帰しよう」って頑張ってます。
僕の復帰を望む声にも励まされました。ディレクターやプロデューサーの声だけでな
く、ファンの声にもです。特にプロレスファンの。もし、この病気が運命だとしても、
もう一回、前の仕事に復帰しなければ、僕は、死んでも死にきれないと思ったからで
す。運命ならば、その運命を、きっと変えてやろうと!

そんなわけで、僕は、元気にリハビリの日々を過ごしています。最初は立つこと
さえできなかったのに、今はなんとか歩けますしね。右手ではさみを使ったり、爪切
りを使ったり、字もなんとか書けます。「声」の方も、だいぶ良くなってきました。
最初は一言も「もの」が言えなかった僕ですが、今は、「原稿を読むと、ややろれつ
が回らない程度」にまで回復しました。

ただ、「フリーアナウンサー」に、果たして本当に戻ることができるかどうか。その
答えは、僕にはわかりません。きっと、誰にも。いま言えることは、「復帰への道は、
ほんとうに険しい道だ」ということです。だからこそ、ただただ、ひたすら、頑張る
だけです。

ところで、僕は今、NPOやNGOにとても興味があります。

僕は学生の頃からアコースティック・ギターが好きで、拓郎や陽水やNSP(知ってらっ
しゃるかな?)などをよく弾いて歌っていました。つくったバンドでは、ベース・ギ
ターも弾いていました。その頃から自分で作曲をし、編曲もするようになりました。
今までに作った曲は70曲くらいでしょうか。アレンジだけやった曲というのも30曲く
らいあります。

26歳くらいからは、「サウンド紙芝居」という、最大で5メートル×4メートルの紙芝
居(といってもこの大きさになると紙ではなく、布ですが)に、生演奏、生歌あり、
...という劇団みたいなグループをつくり、日本全国を回っていました。僕は、うた
のおにいさんでもあり、裏方さんでもありました。こなしたステージの数は300ステー
ジくらいです。

そのあとは31歳(!)で仙台の民放(KHB東日本放送)の局アナになり、33歳からフ
リーアナウンサーになりました。

実は、今、この「サウンド紙芝居」を、もう一度、しかもアジアで復活できないか、
と考えています。言葉の壁をどうするかですけど...。

僕はもう身体障害者になってしまったので(なってしまった、というのは、悲しいか
な、という意味ではありません。ま、多少はそういう意味もありますが。だっていろ
んなものが割引になるし、これはこれでいいものです。たぶん)、ステージの裏で暗
躍しようかと思ってます。いままでの僕は、自分だけのために生きてきたように思い
ます。でもこれからは...。

そう言えば最近、あのプロレスのハヤブサ選手(頸椎損傷で首から下がほとんど動か
ないプロレスラーです。あえて「選手」としました)が、車いすで久々にファンの前
に姿を現し、リングの上でこんな風に叫びましたっけ。

 「お楽しみはこれからだ!」

...僕は、石にかじりついてでも、絶対に復帰します!

 

そのA

思わぬ時に、思わぬところで起きてしまった「脳出血」。倒れる前日に、あ、これは
明日やろう、とか、来週でいいや、と思って後回しにしていたことが、いまもってで
きておらず、すべてが、ほんとに予定がすべて、狂ってしまいました。最初は(とい
うか何度も)、それはもう、落ち込みました。足を折った、とかなら、1ヶ月や2ヶ月
もすれば治ります。でも脳出血は違います。1年か2年、いや、もしかしたら、一生か
かっても元には戻らないかもしれない。退院してから3ヶ月半がたった今、以前のよ
うに落ち込むことはなくなりましたが、それでも健康な人を見ると、やっぱり思うん
です。

「どうしてこんな体になっちゃったんだろう」

たとえば、大勢の人が集まる場所で靴を脱がなきゃいけないときには、多くの靴が散
乱する中、少ない空きスペースを探して、よいしょとゆっくり腰を降ろし、そしてリ
ハビリ用シューズを脱いだら、何かにつかまって、思い切り膝に力を入れてころばな
いように立ち上がらなければなりません。「靴を脱ぐ」、こんな単調な動作にも、め
んどくささと不安がつきまといます。つかまるものが何もないときには最悪です。靴
を履くときにも同様です。

コンビニで買い物をするときも大変です。左手は杖を持つため、商品をレジに持って
いくには、マヒのある右手で持っていかなければなりません。退院したばかりの頃は
これができず、何回右手で商品をぽろりと落としたことか。2個以上の商品は、もう
持つさえできませんでした。買い物かごを使おうと思っても、買い物かごを持つ腕力
もありませんでした。今はなんとか商品を落とさず、レジに持っていくことができま
す。でも、その後が大変です。僕はいつもなるべく手があくように、リュックを背中
に背負っているのですが、このリュックの上げ下ろしが難しい。レジまで無事に商品
を持っていったら、まず杖をたてかける場所を探します。杖をおく場所を見つけたら
杖をたてかけ、左手をうまく使ってリュックを降ろし、なんとかチャックを開けます。
次に、中から財布を取り出し、言われた金額を左手で取り出します。利き手ではない
左手なので、コインは1枚1枚、取り出すことになります。おつりは慎重に財布に入れ
ます。左手なのでうっかりするとコインが床に落ちてしまいます。床に落ちたコイン
を拾うのはムチャクチャしんどいからです。そして財布と商品はリュックの中に入れ
て(買い物袋を右手にぶらさげて歩く、ということがうまくできません)、チャックを
おもむろにしめ、腕を上に上げ、リュックを背中に背負います。腕をへたに上げると
肩が痛い時が多いのですが、我慢します。杖を持って、店を出ます。これでやっとコ
ンビニでの買い物が終わります。

このほか、日常生活の中で、ここに書ききれないくらい、大変なことがあります。こ
のエッセイも左手一本で書いています。やることなすこと、すべて人の5倍から10倍、
時間と手間がかかる、といっても過言ではありません。つい最近、身体障害者手帳を
もらいました。1種2級とのことです。まさか自分が障害者手帳の交付を受けるなんて、
ゆめゆめ思っていませんでしたが、これが現実です。ただいろんなものが割引になる
から、利用しない手はないんですけどね。

僕は、いま思うんです。病気になって、思うんです。これからは「生きているってこ
とを噛みしめて人生を生きていきたい」と。たくろうの歌にも「唇を噛みしめて」っ
てありますよね。「噛みしめる」って言葉、好きです。噛みしめながら生きる。しか
も「生きている」ってことを。もちろん、四六時中こんなこと考えているわけじゃあ
りません。現実の生活では、朝ご飯のみそ汁がちょっと冷めてて、むかついてみたり、
パソコンがうまくメールを送ってくれなくていらいらしたり、リハビリが何となくう
まくいかなくて疲れるばかりだったり。そりゃ日々の生活に追われちゃいます。

でも、夜ひとりでいると、「生き方」を考えるんです。今後の第2の人生の。もちろ
ん、フリーアナウンサーに復帰するのが、いまの最大の目標です。そのために、いま
全力をあげてリハビリしています。でもそれが達成できるだけでは、なんか物足りな
いように思うのです。病気になる前は、こんなこと考えもしなかった。自分のこと、
とくに仕事のことで精一杯で、とてもそれ以外に目を向ける余裕なんてなかった。い
やつくろうと思えば、きっと余裕もあったんだろうけど、つくる気力も、つくろうと
する気持ちさえ、なかったのです。

生きているということ。いまこうして現実に生きているということ。もしかして、脳
出血の部位があと1センチずれていたら、僕は生きていなかったかもしれない。でも、
ずれてくれた。「1センチ」が、生死を分けた。そしていま、僕は生きている。いや、
「生」の方が選ばれた、というほうが正確か。誰が選んだかというと、神様かもしれ
ない。誰でもいい。とにかく僕は「生」の方を選択された。「生かされている」って
よく言われるけれど、その意味が少しだけわかったような気がします。

最近、NHK朝の連ドラ「満天」にはまっています。その中で、あの宇宙飛行士の毛利
衛さんが、実名で登場します。ヒロインは、宇宙飛行士になることを夢見る、満天と
いう名の子。ある時、毛利さんは満天ちゃんにこう言います。

「あなたは宇宙に行ったら、人に何をしてあげようと思いますか? それさえ思えれ
ば、きっと宇宙に行くことができますよ」

僕は思いました。「夢をかなえる」って、こういうことかもしれないなと...。

inserted by FC2 system