エッセイのページ

 

 このページは、僕等のバンドメンバー「チェルシー芳川」こと芳川峰生君が書いて、地元FM局でオンエアされたエッセイを掲載させていただいております。
 本人にも了解を得ておりますので、エッセイを読んでの感想・ご意見など、お気軽にKAZまでメールを下さいますと大変嬉しいのですが…。 

「クリスマスコンサートの約束」

芳川 峰生  

  今まで私の12月は忙しかった。高校時代の友人Y君たちとつくっていたフォークソングバンドで、施設のクリスマス会などに出演していたからだ。六年ほど前、初めてある施設でやったところ、どこかで噂を聞いたのだろう、次第に出演の依頼が舞い込むようになり、毎年障害を持つ子供を対象に、二〜三回は小さなコンサートを開いていた。一昨年は私の子供が通う養護学校でクリスマスコンサートをやらせてもらった。聴衆三百人、十三曲、五十分。今まででいちばん大きなものだった。コンサートが終わって一週間ほど経った頃、養護学校から大きな包みが届き、中からたくさんの手紙と絵が出てきた。子供たちがコンサートのあと書いたものだと先生のメッセージが入っていた。「いや、まいったな」。照れ屋で涙もろい中年男達は、こんなとき「まいったな」しか言えないのだ。そんな中に真っ赤な色鉛筆で書かれた「また、きてください。また、うたってください」という一文が目に留まった。ある女生徒からのものだった。その字はたどたどしく、線は小刻みに震えていた。私は知っている。障害を持った子たちが一文字書くのにどれほどエネルギーを費やすのかを。「また、いきます。また、いっしょにうたいましょう」と返事を書いた。しかし、そのクリスマスコンサートが我々のバンドの最後の演奏となってしまった。

 三年ほど前のこと、メンバー四人のうち日頃地元にいることの少ない一人を除き、三人で練習をしているときに、だれからともなく、ボランティアを超えて何かできることはないか、というような話が出てきた。そして、それは一気に自分達で、ある施設をつくろう、というところまで突っ走っていった。今までバンドの練習に費やされていた時間の大半が施設建設へ向けての勉強会になった。そして同時に、さまざまな人に会うなど、アクションも起こした。
 一年が経過する頃になるといろいろなことが分かってくる。それに伴って、3人の考え方に違いが出て来た。特に、私と他の二人との違いは大きかった。それはもっと早くわかっていなくてはいけないことだったが、お互いの考え方を十分理解しないうちに、勢いで始めてしまったために起きたことでもあった。
 その後三人の接触はだんだん少なくなり、やがて私は他の二人と距離を置くようになった。彼らは活動を継続させていたようだったが、あるとき突然二人がやって来た。そして、Y君と私は大きな声でやり合った。去年の夏のことだった。それを機に私は態度を決めた。そして、そのことと、今後の彼等のための提言とを伝えようとしたのだが結局できず、いつしかクリスマスソングが聞かれる季節を迎えていた。いつもなら張り切って練習している頃だ。さまざまな思いが頭をよぎり、私は意を決してY君に手紙を書くことにした。ようやく書き上げたまさにその日、Y君が私の前に現れた。そして「このあいだは興奮してしまった。今までの友情は大切にしたい」と切り出した。その言葉はまさしく私が書いた手紙の一行目と同じだった。
 その日から一年が過ぎた今、私とY君は練習を再開した。ある施設のクリスマス会で歌うのだ。私たちには「またうたってください」と待っていてくれる子供たちがいる。そして、かれらに「また、いきます」と約束をしたんだ。破るわけにはいかない。

このエッセイは2000年12月19日、浜松のFM局、FMハロー「モーニングエッセイ」でON AIRされました。
このエッセイ中に書かれている施設での演奏風景はこのHPの「最近の活動」をご覧下さい。

          

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