エッセイのページその3


ぼくらの同窓生で作り上げた同窓会を芳川君がエッセイにしてくれました。
約一年間に亘る準備で同窓生の間には半ば戦友的なノリで連帯感が
生まれました。企画する者、資金を集める為に奔走する者、役員の連絡を
買って出る者、みんながそれぞれの役目をキチンと理解してこそ成し
遂げた同窓会だったと思います。KAZにとっても一生の思い出に残る、
「今までにない同窓会」でした。みんなー!有難う!
 

「今までにない同窓会」

芳川 峰生

 新年早々高校の同窓会が開催された。ここ数年は一月三日と決まっている。私は四年連続で欠席したが今度だけは出席した。我々の学年が幹事となっていたため、私も多少準備に関わったからだ。私は同窓会の実行委員ではなかったが、三年前の夏、同期だけの同窓会が開かれたときに、テーマ設定やキャッチコピーを書いたことがあり、今回も「ひとつ頼むわ」ということになったのだ。
 去年の春、企画委員のY君が私の事務所にやってきて「二十一世紀の幕開けの年なんだから、なにか今までとは違うものにしたいんだ。我々六期生らしいものがいいなぁ」と熱く語った。そして二人で「まずテーマを決めなきゃ。テーマがないと今までと同じになっちゃうよな」という話をした。しばらくしてY君から「テーマは『ずっと青春』、これに決まったよ」と連絡があった。テーマが決まったことで、やるべきことが見えてきたのだろう、それぞれの委員会は本格的に稼働し始めたようだった。
 しばらくしてプログラム担当のK君が現れた。私も編集の手伝いをすることになっていたからだ。K君も「今までにないプログラムにしたいなぁ」と言い、「こんなのはどうだろう」と次々に企画を提案した。あまりに熱心なのでいつしか彼のペースに乗せられ、私は「ずっと青春」をテーマにエッセイを書くはめになった。

 K君は以前フリーでグラフィックデザイナーをやっていた。広告業界にじわじわと押し寄せていたパソコンを使ったデザインの波は、予想をはるかに越える速さと勢いで広まり、アナログ人間を隅に追いやった。
 数年前、彼はデザインと多少関係のある業種の会社に就職したが、職種は営業。四十を過ぎて、一からの出発だった。外見だけ見るとベテランの営業マン。しかし実際は業界用語すら知らない新米社員。そのギャップを埋めるには昼夜を問わず働くしかなかった。彼との打ち合わせの合間にそんな苦労話や失敗談を聞いたが、冗談を交えて話をするので、ついついこちらは笑ってしまう。それが彼らしいところで、こちらもほっとする。いきなり修羅場をくぐったせいか、この頃は仕事にもだいぶ慣れて活躍しているようだったが、相変わらず帰りは遅く、私との打ち合わせはたいてい夜遅くになった。そんなK君ともプログラムの内容が決まると会う機会もなくなってしまった。
 入れ替わりにY君が「ずっと青春」のロゴができたといって見せにきてくれた。骨太でいきおいのあるロゴ。あのK君がつくったものだ。パソコンなんかではぜったいつくれない、温かい血が通った、彼らしい、いかにも彼らしいデザインだった。気軽にエッセイを引き受けたものの、テーマがあまりにも大きく、ぜんぜん書けずに苦労していた私に、彼のつくったロゴは喝を入れてくれた。私はその晩一気に書き上げた。
 同窓会当日、プログラムは受付で一人一人に配られた。K君のつくったテーマのロゴは表しに、私が書いたエッセイは一ページ目に掲載されていた。懇親会の冒頭、実行委員長の開会宣言の直後、大音量でビートルズのミスタームーンライトが会場に流れた。Y君の選曲だった。いずれも同窓会では今までにないことだった。

エッセイの後に流れた曲ももちろんMr.MoonLightでした。

ところで、演出担当の私としましては、芳川君のエッセイ中に若干の間違いがあり、
この部分だけどうしても書き足したいことがあります。それは、実行委員長の開会宣言に続く、
前副知事である僕等の恩師、来賓の庄田先生の乾杯の音頭で、先生の発声の直後に流れたのが
この曲です。懇親会の構成上、テーマミュージックをビートルズに限定し、中でも僕が好きな曲だけ
で演出を試みました。庄田先生にはさぞかしびっくりされたことと、大変申し訳無く思っています。
この場をお借りしてお詫び申し上げるとともに、エッセイを訂正させていただきます。  KAZ

         

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